(f) ヴィルヘルム・フォン・フンボルトの形式陶冶
形式陶冶※(9)を最初に提唱したのは、ドイツの教育者ヴィルヘルム・フォン・フンボルトで、彼の考え方は、その後20世紀初頭のゲオルグ・ケルシェンシュタイナーの労作教育の考え方にも反映された。またクルト・ハーンのアウトワード・バウンドなどの身体的鍛錬を重視した考え方も、これにつながるものである。
形式陶冶は、教育による働きかけの捉え方のひとつで、陶冶自体はドイツ語のBildungの訳語で人間形成のことである。形式陶冶は、実質陶冶に対置して使われる言葉で、形式陶冶は単に知識をあれこれと子どもたちに教え込むことではなく、その知識を使いこなす能力で、それを発展させることで思考力(記憶力・推理力・想像力などの精神的能力)がつくとされている。場合によって、その効果(学習転移)も形式陶冶といわれることがあるが、速読、多読、百ます計算、体験学習、勤労体験などは、いずれもこの形式陶冶から派生してきた教育活動のアイディアであるといえる。
実質陶冶は、これに対して個々の内容的な知識を身に付けさせることをいう。形式陶冶と実質陶冶は、そのformaleとmaterialという形容詞は、ギリシア哲学の形相と質料、つまり器(かたち)と内容(心)を意味する言葉の対比から着目されたもので、いずれか一方のみが重要というものではない。ただ、武道、華道、茶道などの教育で、形から心へや、心ができれば形に表れるという表現がされるように、いずれか一方の教育成果が、自ずと他方に連鎖的な効果をもたらすという教育学者もいる。
新学習指導要領では、これまでの4つの評価の観点から『知識・技能』『思考力、判断力、表現力等』『学習に向かう力・人間性等』の3つに移行するが、特に学んだことが実際に身に付いているか、あるいは応用できるものになっているかという形式陶冶が重要視されるようになっているといえる。
(2) 美術科教育法における効果的な教授法の在り方
(a) ブルーナーの科学教育とシュプランガーの職業教育より
ブルーナーの「繰り返し学習」(スパイラル学習)と「推理学習」などの科学教育の考え方は、現在の教育の中心的課題である情報活用能力や問題解決能力の育成にも示唆を与えてくれている。また美術教育においては、幼い頃から質の高い美術作品に触れながら感じたことや考えたことを言葉にしたりする対話的な鑑賞の機会を何度ももつことによって、問題解決能力はもちろんのこと、造形への意欲や関心が高まっていく可能性を示しているのである。
シュプランガーの職業教育からは、美に対する興味や関心、美の価値などは個人の価値観であることは当然であるが、それと同時に社会によって左右されているということも分かった。それならば将来の社会の美の価値観を、現在の個々の価値観が積極的に作り出していけるのだという考え方もできるということである。将来において「望ましい美の価値観」、あるいは「望む美の価値観」とはどういったものであろうか。また、それらをテーマにした、例えば「美の価値の不易と流行を探る」などの題材設定の可能性も感じる。
(b) ケラーのPSI(個別化教授システム)より
この個別化教授システムは、美術教育でも早くから行われてきた教授法であり、指導力に優れた教員は全体指導における効果と個別指導での効果をうまく使い分けているが、造形教育の場合個別指導の占める割合が多く、同時に観察による学習への方向付けに費やされている。しかし、形態は個別指導であってもここで取り上げられているPSIのように、学習テキストの作成やその使用は容易ではない。それは造形教育の場合、一定の技術の説明や解説は可能であっても、技能に結びつけるためには実戦による経験が必要だからである。学習テキストと共に、場や設備等の設定抜きには行えないからである。環境としての人(指導者)や場、物の整備が必要であるということなのである。
次回の研究では、特に人について研究したいと考えている。というのは、長年個別指導で疑問に思ってきたことがあった。どうしてもコミュニケーションが図りにくい相手がいたのである。その原因は、指導者の力不足も考えられるが指導者と学習者との両者の間での相性が、指導の効果や影響に深く関係があるのではないのかという仮説である。一般社会での付き合いなどにおいて、コミュニケーションの図り方としてアプローチされた例はよく見られるが、学校の教育指導法として取り上げられた事例はあまり見かけない。次回の研究では、これについて研究したいと思っている。
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