高校3年生の1学期に、美術の授業で蝋版レリーフの課題が出た。レリーフは、わずかな厚みの中に、ものの奥行きや量感、質感などを表わさなければならない。丸彫りとは違った立体の捉え方と表し方が必要になる。自分でいろいろと試しているうちに、微妙な凹凸の高さや彫る順番、方向などによって、僅かな高低差でも立体を表現することができることに気がついた。それを自分で見つけ出せたという喜びが今も彫塑制作を続けている動機になっているのかもしれない。
私が美術に進路を決めたのは、高校3年の3学期であった。好きな美術関係の大学も受験しておこうという軽い気持ちからだったので、合格したときは嬉しさよりも不安が先に立った。美術で食べていけるかどうか自信がなかったからである。大学に入学してからは、自己流の絵では通用しないだろうと思い、スタートラインが同じと考えられる彫塑を専攻することにした。
学部を卒業した後、一年間専攻科へ進んだが、そのとき2つの高校の美術の非常勤講師も同時に勤めることになった。そこでは、美術の授業を音楽室や普通教室でするという苦労もあったが、自分にも教員の仕事が務まりそうだという気持ちをもつことができた。そのときから、美術教育者と彫塑作家との両立に苦悩する日々が続いている。
大学卒業時に、同じ研究室の先輩方と6人でグループ「六彫展」を開いた、その後1~2年ごとに第16回まで開催することができたおかげで、何とか今日まで制作を続けている。
仕事の忙しさを口実に、制作から遠ざかりかけたことも何度かあった。時間がなかったというわけではなく、制作意欲が湧かなかったのが大きな原因であった。本来、創作の源は「表現への衝動」であろう。時間があってもそれがなければ、意識は創作へとは向いていかない。どうしてもその気になれないときは、展覧会への応募を先に決めたり、モデルさんと時間の約束したりして、自分を逃げられない状態に追い込むようにした。無理強いしているときもあるので、まともな作品にならないこともあるが、作らないよりは ましと思ってきた。
幾ら作ってもうまくならない、満足のいくものができない、どうしてこんなに苦しいのに作るのだろうか、そんなに苦痛ならばやめればいいのにと、制作に行き詰まったときには様々な迷いが頭をよぎる。しかし、やっぱり何かを創り出したい衝動は消えない。本当に「好き」なんだと思う。
自らの表現を求めて追求する、楽しみだけではなく苦しみも味わいながら。それこそが、創造の喜びであると思うのである。そして、それは生徒も同じであろう。