浮世絵などの版画作品やその製作技術は、世界が認める日本の優れた文化の一つである。その中でも、私たちにもなじみが深いものとして歌川広重や葛飾北斎の浮世絵がある。ここで取り上げる北斎の木版画の作品には風景画も多く、そこに登場する人物には動きがあり、ときにはユーモラスにその時代の風情を生き生きと伝えている。
題材の目標
この題材は、鑑賞者自身が作品に登場する人物に扮して、その場面に入り込んでみようというものである。作品の中の登場人物を演じようとすると、そのポーズや表情には、作者の意図や時代背景が反映されていることに気づく。その結果、単に視覚や聴覚で作品を鑑賞する方法よりも、体全体の感覚を通してもっと深く作品の読み取りができるようになると考える。
校内ネットワークによる教材画像の共有化、ノートパソコンの軽便性・画像加工処理機能、デジタルカメラの即時性などを活用するとともに、グループ活動によってコミュニケーションを図りながら、日本の伝統的な版画作品を体験的に鑑賞することがねらいである。
題材の評価規準
関心・意欲・態度 | 発想や構想の能力 |
名画に入るという鑑賞方法を体験することによって、様々な作品に対する興味や関心が増し、自分なりの鑑賞の仕方を見つけようとする。 | 作品の中の登場人物と入れ替わることによって、作品の時代背景や作者の心情・意図、表現の工夫などに気づくことができる。 |
創造的な表現の技能 | 鑑賞の能力 |
マルチメディア機器の操作の習得やインターネットでの情報収集などを通して、情報活用能力を身に付けることができている。 | 名画に入り込む体験的な学習を通じて、日本の版画文化の歴史や、その表現の特質を感じ取ることができる。 |
主な学習内容と評価
学習内容(時間数) | ポイント |
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1 鑑賞例をプロジェクターで提示し、鑑賞方法 や目的について説明をする。 (1) *学習プリント 参照 | ◎導入では、森村泰昌『空想美術館』絵画になった私」からヒントを得、葛飾北斎「富岳三十六景」の『立川』」と『神奈川沖浪裏』への失敗体験から、この鑑賞方法が開発されたことなどを話した。 |
2 グループに分かれて鑑賞画像を選択し、インターネットで調べる。 (1) ①3~4人のグループに分かれてチーム名を付ける。(学習プリント) ②歌川広重「東海道五十三次」と葛飾北斎「富岳三十六景」の作品画像を、校内ネットワークの共有フ ォルダを通じて鑑賞し、その中から自分たちが入りたい画像を一つ選択する。 ③選択画像についてインターネットで調べる。 | ◎グループ分けの際は、パソコンやデジタルカメラの操作に精通している生徒を分散させると、進めやすくなる。 ◎ノートパソコンがない場合は、事前に作品画像をプリントしておき、それを持って撮影に行くようにするとよい。 ◎撮影した写真と画像を見比べることが、非常に大切な鑑賞活動の一つになる。実際に身体を使ってやってみると、新しい発見が見つかる。 |
3 登場人物を演じて、それを撮影する。 (1) ①登場人物について、だれが、いつ、どこで、何をしているかなどを読み取る。 ②読み取ったポーズや表情を確認しながら撮影する。 ③撮影した画像をすぐに再生して、自分が思ったイメージであるかを確認する。 ④気に入るまで何度も撮り直し、チームのフォルダに保存する。 | |
4 登場人物と入れ替わる。 (2) ①人物を切り抜く。 ・PhotoshopCs2を起動し、「マグネットツール」で人物の輪郭に沿って範囲を設定し、クリップボードへコピーする。 ②作品画像に貼り付け、位置や大きさを合わせる。 ③はみ出た画像は、消しゴムツールで消すか、「スタンプツール」で周辺の画像情報をコピー してなじませる。 ④画像を保存する。 歌川広重「東海道五十三次」『見附』 | ◎ 「付け加える」場合は、画像に重ねるだけなので、拡大縮小、回転、移動の操作で完成する。時間がとれないときや、パソコン操作の苦手な生徒が多い場合は、その方法を用いてもよいだろう。 葛飾北斎「富岳三十六景」『関屋』 葛飾北斎「富岳三十六景」『程ヶ谷』 |
5 鑑賞と発表 (1) ・この鑑賞を通じて感じたことや考えたことを話し合い、発表する。 ・他のチームの発表を聞いて、評価する。 | ◎こうして作品の中に入って行った鑑賞は、身体全体に記憶される。どこかでこれらの作品と出会ったとき、記憶が蘇るとともに、今回気づかなかったところからの新しい発見が期待され、鑑賞がさらに深まると考えている。 |
評価の観点 | 評価方法 | 材料・準備物等 | |
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1 | ○題材の意図や目的を理解し、積極的に取り組もうとしている。 (関心・意欲・態度) | ①説明時の姿勢・態度 | 教卓のパソコンと提示装置 ・ノートパソコン(班に1台) ・インターネット環境 ・学習プリント ・屋外環境 |
2 | ○日本の優れた版画作品の良さや美しさを、感じ取ることができている。 (鑑賞の能力) ○インターネットでの情報収集などを通して、情報活用能力を身に付けている。 (創造的な表現の技能) | ②グループでの活動状況 ③学習プリント記入内容 |
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3 | ○コミュニケーションを図りながら、グループでの役割を果たすことができている。 (関心・意欲・態度) ○作品の時代背景、作者の心情や意図、表現の工夫に気づくことができる。 (芸術的な感受や表現の工夫) | ④グループでの活動状況 ⑤ノートパソコンやデジタルカメラの操作習得状況 | ・ノートパソコン (班に1台) ・校内ネットワーク環境 ・ディジタルカメラ (班に1台) ・場面に応じた小道具 ・カードリーダー (班に1台) |
4 | ○パソコンやディジタルカメラ、画像処理ソフトなどの操作に慣れ、マルチメディアを活用した表現ができるようになる。 (創造的な表現の技能) ○他のチームの鑑賞方法を参考にし、より深く作品を読み取る力を身に付けようとしている。 (鑑賞の能力) | ⑥画像処理ソフトウェ アの操作習得状況 | ・ノートパソコン (班に1台) ・校内ネットワーク環境 ・画像処理ソフトウェア (Photoshop cs2) |
葛飾北斎「富岳三十六景」『五百』 | 葛飾北斎「富岳三十六景」『雪の旦』 |
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5 | 感想や気づいたことなどを発表 | ⑦チーム発表の評価プリント | ・評価プリント *評価プリント 参照 |
題材の生まれた経緯
その① 「空想美術館」との出会い
この題材を思いついたのは、平成10年である。その当時は、日本の伝統文化の見直し、鑑賞授業の充実、映像メディア表現の新設などが中心課題であった。
それらを網羅した題材が開発できないかと考えていた。丁度そのとき、「森村泰昌『空想美術館』絵画になった私」のポスターが目に入った。森村氏が、有名な絵画作品に登場する人物に扮してポートレートするというものであった。(氏は、それを発展させたディジタル動画として、平成18年に名古屋県立美術館で発表している。)
子どもの頃、某お茶漬けのおまけに歌川広重の「東海道五十三次」が付いていた。名刺大ぐらいの小さなものだったが、細密に描かれたその巧みな線の使い方に惹かれた。また、葛飾北斎の「富岳三十六景」に描かれた様々な富士山の姿に魅せられ、いつか行ってみたいと子ども心に思ったものである。確か、何枚か集めて送ると、1セットもらえるというので、集めていたことを覚えている。
後になって、この日本の浮世絵は、西洋の印象派の画家たちに大きな影響を与えたことを知った。当時は、西洋文化を手本にするあまり、日本の素晴らしい伝統文化が忘れられかけた。そこで、浮世絵を鑑賞の対象にすることにした。
その② 最初の勘違い
葛飾北斎「富岳三十六景」の「立川」の左下の人物に入れ替わろうと作務衣に着替えた。自分で撮影するのは難しいので、甥に手伝ってもらいディジタルカメラで撮影した。
左)葛飾北斎「富岳三十六景」『立川』 中)原画 右)作務衣の私
私は、木材を受け止めるポーズを取った。しかし、よく見ると下の人物は上の職人に木材を放り上げている。上を見上げているので、頭の向きもおかしいことになる。最初の勘違いである。
その③ 二つ目の失敗から得られたもの
「神奈川沖浪裏」は、それを見たゴッホが手紙で賞賛し、ドビュッシーが交響詩「海」を作曲した等(など)の逸話が残る名画である。今度は、波に揺られる船に乗り込むことにした。
「富岳三十六景」『神奈川沖浪裏』
作務衣の私
またもや、見当違いをしてしまったようだ。このままだと船から落ちてしまう。船の横縁にへばり付いていたのである。
私は、昔から絵を見るよりも描く方が好きだった。今回の経験からも、いかに自分がいい加減にしか絵を見ていないかが分かった。
しかし、それは私だけだろうか。
そう考えた私は、小中学校の教員、大学生に協力してもらい、作品の登場人物と「入れ替わる」場合と、いないところへ「付け加わる」場合の2つについて検証した。
「付け加わる」は、元の作品を作り替えようとする意識が働き、パロディ的な表現になることが分かった。そこで鑑賞を目的とした題材には、「入れ替わる」が、適していると考えたのである。
この研究は、平成10年度に神戸で開催された全国教育研究所連盟研究大会で発表することになり、また朝日新聞の全国版に取り上げられた。何校かの小学校へ研修のために出かけたり、 同じような研究をしておられた県内の中学校の先生と共同研究を行うことにもなった題材である。
評価プリント
学習プリント
この題材は、「改訂中学校学習指導要領の展開 美術科編 遠藤友麗編者」に掲載された。