私は、大学の4年間と専攻科の1年間計5年の間、美術教育ゼミナール「いとすぎ」というサークルに入っていた。そこでの主な活動は、幼稚園児と小学生を対象にした絵画教室で、大学の近くの集会所を借りて行っていた。毎週の初めは、土曜日の題材を考え材料や道具を準備し、終了したら反省会を行う。今から考えたら、実に真面目なサークルである。夏には勉強合宿も行った。余談であるが、そこでの私の最も大きな収穫は、今年で40周年になるパートナーとの出会いである。そして、この本の出版に当たっても、そのパートナーと子どもたちに、挿絵やデザインを手伝ってもらったことを明記しておきたい。
さて、当時美術教育では「新しい絵の会」と「創造美術教育協会」の二つの考え方があった。それぞれの主張について、サークルではよく意見が交わしたものだ。「新しい絵の会」は、1917-1921年に山本鼎が提唱した「自由画教育」運動や、昭和20年代の不平等社会をなくそうという「生活綴り方教育」運動などに共感した人たちによって、戦後の日本の美術教育の民主的発展を目指して発足され、1959年に全国組織になった。
「創造美術教育協会」、美術評論家の久保貞次郎が1952年に日本の美術教育を改革しようと考え、メキシコで独創的な理論と実践をした北川民次など、21人の美術家・教育者・大学教授が発起人として設立した。子どもの意志を尊重し、表現の自由を保障し激 励する美術教育を提唱したのである。これらの二つの大きな考え方のどちらに賛同するか、今でいうディベートであるが、サークルでディスカッションしたが、それぞれから生まれた絵を比べてみて、「創造美術教 育協会」からは開放された精神の喜びを、「新しい絵の会」からはよりよく生きようとする意志を感じ取ることができた。どちらかというと私は、「創造美術教育協会」に惹かれた。
これまでの実践を振り返ってみると、大きな精神的な最終目標は「創造美術教育協会」の考え方が基盤になっており、個々の題材を具体的に進めるため「新しい絵の会」の考え方や手法を取り入れているといえる。
この大学時代の5年間での経験が、後に高校生の発達段階を幼少年期から考えることができたり、生徒の苦手意識やつまずきの原因を推測する手掛かりを得たりするのに役だったと考えている。
この本の執筆が、初期の目的を達成できるものになったかどうかは甚だ疑問であるが、私にとって一つの区切りになったことは確かである。
最後に、執筆にあたってこ協力いただいた多くの方々に、感謝を申し上げます。
参考・引用文献
(1) 大河内信雄・大河内栄子 1995 「野焼きでつくるやきもの」 大月書店
(2) 水野哲雄 2004 「GENESIS」 京都 形芸術大学紀要第8号p217-p219
(3) 滝本政男・島崎清海 1994 「美術教育の名言」 黎明書房
(4) 三宅芳雄 1994 「個人知識の外化に基づく思考支援環境」情報処理学会研究報告. HI,ヒューマンインタフェース研究会報告 Vol.94,No.23 p109-p116 社団法人情報処理学会
(5) 野口悠紀雄 2000 「超」発想法 講談社
(6) 版画図版 足立版画研究所所蔵のアダチ版を学習研究社「New教育とコンピュータ」編集部の許可で掲載
(7) 藤原義勝 1997 「オカリナをつくる」 大月書店
(8) 宮脇理監修 福田隆眞、福本謹一、茂木一司編集 2000「美術科教育の基礎知識」 建帛社 (9) 使用ソフトウェア
・「Adobe Photoshop」 アドビシステム
・「Easy Toon」 1998 Keijiro
・「ホームページビルダー ウェブアニメータ」 IBM
イラスト 中川 和美
アドバイス 鍵岡 俊治