新着任の翌日、数人の生徒が美術室にやってきた。
「先生、何やったらいいねん。」という。
聞いてみると、昨年度美術の単位を落としたらしい。私が課題を出して認定しなければ卒業できないというのである。
そこで「自分の家の近くの風景を鉛筆でスケッチしておいで。」と画用紙を2・3枚渡した。何日かして「これでいいか。」と持ってきた。お世辞にも熱心に取り組んだといえそうもなかったので困った。とにかく話を聞こうと思い、
「これはどこの風景?」と尋ねた。
「家の近くの川の土手。」
「この木は君が小さいときからあったの?」
そんなことをしばらく話していると、突然、
「先生は、どうして美術の先生になったん?」
ドキッとする質問をしてきた。
平静を装いながらも、これは大変重い質問だ。うかつな答え方はできないと直感した。頭の中で、大学時代のこと、非常勤講師での出来事などを懸命に巡らせ、手掛かりを探った。ふとそのとき、大学のサークルで取り組んでいた絵画教室の子どもたちの笑顔や、高校生の真剣な顔つき、そして好きで好きでたまらなかった自分の子ども時代の思い出が浮かんできた。
「そうやな、僕は美術をやっているときが一番楽しいから、みんなも楽しめたらいいなぁと思って。」というと、
「へー、まともに答えてくれたん先生だけや。」という。
何となく気分が良くなって、
「これでいいよ。」と合格を告げると、
「ほんまに!! ありがとう。」
照れくさそうに教室を出て行く姿に、思わずほっと胸をなで下ろした。身長180㎝以上もある、強面の兄ちゃんたちとのやりとりだった。
その後、すべてを見透かすようなその言葉は、何度も私の中で反復されることになった。
とっさに出た言葉に嘘はなかったが、彫塑作家としては食べていけそうになく、「でも、しか先生」と言われてもしかたのないことを、自分が一番よく分かっていた。
その学校では、芸術教科は美術しか開設されておらず、全員必修であった。当然、美術の好きな生徒や得意な生徒もいれば、嫌いな生徒・苦手な生徒もいる。全員を惹き付けられる題材、2時間造形活動に集中させることができる題材はないか。このときから今日まで、31年間の試行錯誤が続いたのである。